はじめに
その晩年に殆ど盲目になったボルヘスは、その盲目は詩人に与えられた運命であるとして、ホメロスを強く意識するようになった。
古代ギリシャの二大英雄叙事詩の作者ホメロスが盲目であるという伝承そのものが、語り手が見えない世界を語るという神話的構造を象徴しているというのだ。また、盲目の語り手は、視覚ではなく音律・反復・構造によって世界を組み立てる記憶の建築家であるという。世界の細部から解放され、純化された想像力によって、より鮮明に見えるようになった内的世界を語り、自らの運命を文学に変換してゆくことができるのだと。
実は、盲目の詩人に対するこのような理解こそが、古代ギリシャ人達の間ではむしろ常識であったそうである。
1. 忠度都落ち
場面の概要
平家物語巻第七「忠度都落」は、日本文学史上最も感動的な場面の一つである。寿永二年(1183年)、木曽義仲の軍勢が迫る中、平家一門が都落ちする際、薩摩守平忠度は和歌への情熱から、命の危険を冒して都に引き返す。
俊成への訪問
忠度は歌道の大家・藤原俊成の屋敷を訪れ、次のように語る。
「世の中が乱れて、明日をも知れぬ身となりました。かねてより勅撰集に歌を入れていただきたいと願っておりましたが、それも叶わぬこととなりました。せめてこの巻物をお預けいたします」
そして、自作の和歌百余首を収めた巻物を託し、都を去る。
平家物語に引用された忠度の名歌
平家物語では、忠度が詠んだ歌として次の一首が特に取り上げられている。
「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」
しかし、実際に『千載和歌集』に「読人知らず」として採録されたのは、この歌ではなく、討たれた忠度の箙に結ばれていた次の歌である。
「行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし」
(旅の途中で日が暮れて、桜の木の下を宿とするならば、花こそが今宵の主人であろうか)
「花や今宵の」の歌の魅力
この歌は、『千載和歌集』巻第一・春歌上に収められており、詞書には「花の下にて暮れたる旅人を読める」とある。
歌の構造と美学
- 旅と花の主客転倒:通常、旅人が宿の主人を訪ねるところ、この歌では桜の花が主人となり、旅人が客となる。この逆転が優雅な趣向を生んでいる。
- 無常と美の交錯:「行き暮れて」という言葉には、単に日が暮れるという意味だけでなく、人生の行き詰まり、先の見えない不安という含意がある。都落ちを前にした忠度自身の境遇と重なる。
- 一期一会の美意識:今宵限りの桜との出会い。散りゆく花の下で一夜を過ごすという儚さの中に、深い美を見出す日本的感性である。
「花や今宵の主ならまし」という結句の「まし」(反実仮想の助動詞)の使用は、高度な和歌技法であり、仮定の世界に遊ぶ優雅さと、現実には宿る場所もない旅人の哀れさを同時に表現している。
「読人知らず」とした俊成の苦悩
後に編纂された『千載和歌集』(文治三年・1187年完成)において、俊成はこの優れた歌を採録したが、作者名を「読人知らず」とした。
政治的背景
- 朝敵としての平家:寿永二年(1183年)の都落ち後、平家は朝廷に対する反逆者とみなされた。文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで完全に滅亡した後も、平家は「朝敵」という烙印を押されていた。
- 勅撰集の性格:『千載和歌集』は後白河法皇の勅命により編纂された公的な歌集である。朝敵の歌を作者名入りで収録することは、政治的に許されない行為であった。
- 俊成の立場:藤原俊成は歌壇の最高権威であり、朝廷に仕える公家でもあった。個人的な美意識や忠度への敬意だけで、政治的タブーを破ることはできなかった。
俊成の苦悩と配慮
平家物語では、俊成の心情が次のように描かれている。
「入道殿(俊成)、この歌を御覧じて、いみじうあはれにおぼしめされけり。勅撰集に入れらるべかりけれども、故薩摩守忠度、勅勘の人なれば、名字をば載せられず、『読人知らず』とぞ入れられける」
俊成は忠度の歌才を深く理解し、その死を悼んでいた。しかし、勅勘(天皇の勘気)を受けた人物の名を公的記録に残すことは不可能であった。
- 歌そのものは勅撰集に収める(芸術的価値の承認)
- しかし作者名は伏せる(政治的配慮)
- 平家物語などの語りを通じて、実際の作者が忠度であることは広く知られる(間接的な顕彰)
後世への影響
この「読人知らず」という措置は、かえって忠度の歌と人物を伝説化した。芸術的価値は政治的立場を超えるという理念と、しかし現実の政治的制約には抗えないという矛盾が、この一首に凝縮されている。
忠度は「読人知らず」として入集した『千載和歌集』の1首を含めると勅撰和歌集に11首入集している。平家一門としては父親の忠盛が17首、兄の経盛が12首、勅撰集に入集しており、忠度の11首はそれに次ぐものである。
2. 琵琶法師による口承文学としての成立
平家物語の成立過程
最新の学術研究によれば、平家物語は以下のような過程で形成された。
- 初期形態(13世紀初頭):平家滅亡後、様々な伝承や記録が口頭で語られ始める
- 琵琶法師による定型化(13世紀中期):盲目の琵琶法師たちが琵琶の伴奏で語り、物語が洗練される
- テクスト化(13世紀後期以降):複数の異本が成立(覚一本、延慶本など)
作者問題
伝統的には信濃前司行長が作者とされ、盲目の琵琶法師生仏が語り広めたとされる。しかし現代の研究では以下の説が有力である。
- 集団創作説:複数の語り手による累積的創作
- 段階的成立説:核となる部分から徐々に拡大
- 口承と記述の相互作用:語りとテクストが相互に影響
平家物語全体において、とにかく人々が病気、災害に際して怨霊の祟りを恐れており、平家討伐後の朝廷も同様の恐れから平家一門への鎮魂事業をおこなったであろうことは想像に難くない。この場合、仮に新政権による鎮魂事業としての平家物語編纂があったとするとそれは、忠度が千載集で読人知らずと扱われたのと相似形の配慮が働き、匿名で行われる必要性がある。これが平家物語を形作る各種資料を参照でき、また政治力学の実際が理解でき、一級の学識文才に秀でた主要な作者が実在したことは確かながら、現在にいたるまで作者不詳であるという不思議の所以であろうと理解し、わたし個人としては詮索の必要も感じていない。
3. ホメロスとアオイドスとの比較
古代ギリシャの口承詩人
古代ギリシャのアオイドス(ἀοιδός)は、竪琴(リラ)の伴奏で叙事詩を歌う職業的詩人であった。ホメロスもこの伝統に属するとされ、『イリアス』『オデュッセイア』は口承詩の集大成である。
琵琶法師との共通点
| 要素 | 琵琶法師 | アオイドス |
|---|---|---|
| 盲目性 | 多くが盲目 | ホメロスは伝説的に盲目 |
| 楽器伴奏 | 琵琶 | リラ(竪琴) |
| 職業性 | 専門的語り部集団 | 専門的吟遊詩人 |
| 記憶術 | 定型句、リズムパターン | 定型句(エピテット)、韻律 |
| 即興性 | 場に応じた語り | 場に応じた歌唱 |
| 社会的機能 | 鎮魂・教化・娯楽 | 英雄讃美・教育・娯楽 |
盲目性の意味
両文化において盲目性は単なる身体的特徴ではなく、内なる視力の象徴であった。
- ギリシャ:盲目の預言者テイレシアスのように、物理的視力を失うことで真理を見る力を得る
- 日本:琵琶法師は「耳で聞き、心で見る」存在として、死者の声を伝える霊的媒介者
4. 口承文学の構造と魅力
定型表現(フォーミュラ)
ホメロス:
- 「足の速いアキレウス」
- 「ばら色の指の暁」
- 「酒色の海」
平家物語:
- 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
- 「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
- 「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」
これらの定型句は、記憶の補助であると同時に、美的効果を生み出す。
リズムと音楽性
両作品とも、音として聞かれることを前提に構成されている。
- ホメロス:ダクテュロスの六歩格(hexameter)
- 平家物語:七五調を基調とした和漢混淆文、琵琶の音色との調和
場面の反復と変奏
口承文学では、似た場面が繰り返されながら微妙に変化する。
- ホメロス:戦闘場面、出航場面の反復
- 平家物語:合戦描写、別離の場面の反復
この反復は単調さではなく、主題の深化と感情の増幅をもたらす。
聴衆との対話性
書かれた文学と異なり、口承文学はその場の聴衆と共に生きている。
- 語り手は聴衆の反応を見ながら強弱をつける
- 同じ物語でも、場や時によって異なる意味を持つ
- 聴衆の集団的記憶と共鳴する
5. 語りから醸成された文学の魅力
1. 多声性(ポリフォニー)
一人の作者による統一的視点ではなく、複数の声が響き合う。
- 語り手の声
- 登場人物の声
- 聴衆の声(暗黙の対話者)
- 死者の声(鎮魂の対象)
2. 時間の重層性
口承文学は、物語内の時間、語りの時間、聴取の時間が重なり合う。忠度の和歌の場面は以下の三つの時間を持つ。
- 1183年の歴史的出来事
- 13世紀の語りの現在
- 聴衆それぞれの「今」
この時間の重層性が、過去を現在化し、普遍的な人間の真実を浮かび上がらせる。
3. 身体性と情動
文字を読む行為と異なり、語りは身体的体験である。
- 琵琶の音の振動
- 語り手の声の抑揚
- 聴衆の共有する空間
これが情動的共鳴を生み、物語を単なる情報ではなく、生きられた経験にする。
4. 無常観の体現
平家物語の根底にある無常観は、口承という形式自体に体現されている。
- 語りは発せられた瞬間に消える(諸行無常)
- しかし記憶として残り、次の語りで蘇る(輪廻転生)
- 固定されたテクストではなく、常に変化する(流転)
6. 結論:忠度の和歌が示す平家物語の本質
忠度都落ちの場面は、平家物語の魅力を凝縮している。
- 美と無常の交錯:和歌への情熱と滅びゆく運命
- 個人の尊厳:政治的敗者でも芸術的価値は不滅
- 語りの力:この場面が琵琶法師によって語り継がれることで、忠度は「読人知らず」から名を取り戻す
ホメロスとアオイドスの関係と同様、平家物語と琵琶法師の関係は、文学が生きた声から生まれることを示している。現代の私たちが活字で読む平家物語も、その背後に琵琶の音色と語り手の声を聞くとき、初めてその真の魅力に触れることができるのである。
